荒船山頂の艫岩(ともいわ)から経塚山(きょうずかやま)への途中、笹原の中にひっそりと石碑が立っています。
「皇朝最古修武之地」と刻まれていて昭和初期に地元の人達によって建てられたことが刻まれています。
この文字に謂われは、信州にある建御名方神(たけみなかたのかみ)(信州諏訪神社)が、寒さが厳しく、海もない信州では、天照大神の命による「野菜、魚以外は殺生して食してはならない」とのことでは生きてはいけない。そこで、猿・鹿を食べても良いかと聞きに訪ねたところ、天照大神は「ならぬ」との返事でした。
そこで、温暖な平地で、海にも出られる関東の地へ領地を拡大するべく戦の準備を始めました。
この事を知った、経津主神(ふつぬしのかみ)(香取神宮)と建御雷之男神(たけみかづちのかみ)(鹿島神宮)は、建御名方神を迎え撃ちにするべく、信州境にあるこの地へ赴き、陣を構えた。
名だたる軍神たちが戦いを起こせば国が荒れることを心配した天照大神は、孫であるニニギをこの地へ使わせ、3神の和議を結ばせた。
このいい伝えを記したものと言われています。
資料:荒船山にあった看板
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