継承された美、兼六園の調【兼六園】

目次

兼六園の由来

兼六園は江戸時代の代表的な林泉回遊式庭園である。金沢城に面した傾斜地に五代藩主綱紀(つなのり)が延宝4年(1676年)、別荘「蓮池御亭(れんちおちん)」を建て、その庭を蓮池庭(れんちてい)と呼んだ。これが本園の始まりと言われている。

その後、十一代藩主治脩(はるなが)が翠滝(みどりたき)、夕顔亭を造った。文政5年(1822年)十二代藩主齊廣(なりなが)のとき、千歳台に竹沢御殿が建てられた。曲水、七福神山などは、そのころの遺構である。

十三代藩主齊泰(なりやす)は、竹沢御殿を取り壊し、霞ヶ池を拡張し、蠑螺山(さざえやま)を築くなど御殿跡と蓮池庭との調和を図り、現在の大庭園を完成させた。

園名は、文政5年、「宏大(こうだい)・幽邃(ゆうすい)、人力(じんりょく)・蒼古(そうこ)、水泉(すいせん)・眺望(ちょうぼう)」の六勝(ろくしょう)を兼備することから、兼六園と命名された。

アクセス

<シャトルバス>

金沢駅東口7番乗り場を起点に、兼六園周辺エリアへのアクセスに便利なバスです。
9:30〜17:50まで、20分間隔で運行しています。

*私が行ったとき(2020年8月24日)は運休してました。詳しくはこちら

 

<路面バス>

東口の8~10番のりばに到着するバスに乗って、”兼六園下”で降りて兼六園まで歩きました。バスは30分くらいです。運賃は200円です。

兼六園の沿革

兼六園は江戸時代の代表的な林泉回遊式大名庭園の特徴をそのまま今に残している。

もともと兼六園は金沢城の外郭として城に属した庭であった。

庭としての歴史は、城に面した傾斜地が古い。加賀藩5代藩主・前田綱紀(つなのり)が1676年(延宝4年)、この地にあった作事所を場内に移し、蓮池御殿(れんちおちん)を建て、その周辺を作庭した。これが本園の始まりで、当時、蓮池亭(れんちてい)などと呼ばれていた。

1759年(宝歴9年)の金沢大火で、蓮池亭も一部消失、荒廃した。11代藩主・治脩(はるなが)は復興に取り組み、1774年(安永3年)に今に見る夕顔亭や翠滝(みどりたき)を築造している。

一方、東南の平坦地である千歳台一帯は、7人の家臣の屋敷があったり、藩校が建てられるなどの変遷があったが、1822年(文政5年)には12代藩主・斉広(なりなが)の豪壮な隠居所「竹沢御殿」が完成している。その庭には辰巳用水を取り入れて曲水をつくり、各種の石橋を架けた。竹沢御殿の完成した年に、中国宋の時代の詩人・李格非(りかくひ)を書いた「洛陽名園記」の文中から採って、宏大(こうだい)・幽邃(ゆうすい)、人力(じんりょく)・蒼古(そうこ)、水泉(すいせん)・眺望(ちょうぼう)」の六勝(ろくしょう)を兼備するという意味で「兼六園」が命名された。

竹沢御殿完成後、わずか2年で斉広が死去した。同御殿を取り壊した13代藩主・斉泰(ないやす)は、霞ヶ池を掘り広げ、曲水の新たな取り入れも行い、以前からあった蓮池庭と調和するよう作庭した。

こうして、今にみる雄大な回遊式庭園の基本的な構図はできあがった。

廃藩後、1874年(明治7年)5月7日、兼六園は一般公開方された。1922年(大正11年)3月8日に「史跡名勝天然記念物保存法」の規定により、”名勝”の指定を受けた兼六園は1950年(昭和25年)、現「文化財保護法」により、改めて”名勝”の指定を受けた。

さらに、1985年(昭和60年)3月20年、”特別名勝”となった。

各所説明

・唐崎松(からさきのまつ)

兼六園の中で最も枝ぶりが見事な松である。13代藩主・斉泰(なりやす)が琵琶湖畔の唐崎から種子を取りよせて実生から育てた黒松である。11月1日に雪吊り作業を始める。北陸に冬の訪れを告げる風物詩となっている。

・曲水

園内を流れる曲水の豊かな水は、1631年の寛永の大火の翌年、3代藩主・利常(としつね)の命により町人板屋兵四郎(いたやひょうしろう)が、城の「防火用水」としてつくった辰巳用水(たつみようすい)を利用している。両岸には桜が植えられ、4月の開花時には杜若(かきつばた)の若緑とともに美しい景観を楽しめる。

・石川門

石川門は三十間長屋とともに旧金沢城の数少ない遺構の一つである。建立されたのは1788年(天明8年)で、国の重要文化財に指定されている。白く輝いている屋根は鉛瓦である。

・夕顔亭(ゆうがおてい)

園内に現存する最も古い建物で、1774年(安永3年)に建てられた茶室である。茶席の次の間の袖壁に夕顔(瓢箪(ひょうたん))の透かしがあるので夕顔亭という亭名がつけられている。

・時雨亭(しぐれてい)

5代藩主・綱紀(つなのり)がはじめて本園を作庭した頃からあった建物で、蓮池御亭と呼ばれていた。6代藩主・吉徳(よしのり)によって建て替えられたが、藩政後期には時雨亭とも呼ばれ、今の噴水の前にあった。明治のはじめに取り壊されたが現在の建物は2000年(平成12年)3月にこの地に再現させたものである。

・噴水

この噴水は上にある霞ヶ池を水源としており、自然の水圧であがっている。通常、水の高さ3.5mで、霞ヶ池の水位の変化によって変わる。1861年(文久元年)、金沢城二の丸の居間先に噴水があがっているが、兼六園の噴水はその試作といわれている。日本最古といわれている噴水である。

・雁行橋(がんこうばし)

11枚の赤戸室石を使って雁が列になして飛んでいる姿に作られているので雁行橋と呼んでいる。また、一枚一枚の石が亀甲の形をしているので別名を亀甲橋ともいう。

感想

2020年8月24日に石川県にある兼六園に行きました。白山に登る予定で少し時間があったので、行ってみました。

暑くて観光どころではなかったのが残念です。涼しい季節に、またきて、ゆっくり景観を楽しめたらと思います。

ギャラリー

水に見せられて、建物は目に写りませんでした。

*参考資料 兼六園のパンフレット

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この記事を書いた人

趣味で登山を楽しんでいます。特に関東近辺の山に登っています。
登った山の情報や旅行で行った場所の情報などを発信しています。

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