2019年6月に栃木県日光市にある関東百名山のひとつ霧降高原・丸山(1689m)に行きました。
<アクセス>
電車 東武日光駅
行きバス 東武日光駅 → 霜降高原バス停 25分 720円 東武バス日光営業所
帰りバス 霜降滝バス停 → 東武日光駅 15分 330円
〈ルート〉
霧降高原 → 小丸山 → 丸山 → 八平ヶ原 → 霧ヶ峰レストハウス → 合柄橋 →
畑原 → 大山 → 猫ノ平 → マックラ滝 → 玉簾(たますだれ)滝 → 丁字(ちょうじ)滝 →
霧降の滝バス停
徒歩時間 約5時間20分
〈装備〉
・ザック35L
・ハット
・ヒートギアウェアー と レインウエア
・ヒートギアパンツ と ハーフパンツ
・ウール製の靴下
・トレッキングシューズ(LA SPORTIVA)
〈行動食〉
・水1.5L
・カロリーメイト
・おにぎり2個
・板チョコ
〈小物〉
・折りたたみ傘
・モバイルバッテリー
・コンパス
・救急セット
・カメラ
・ヘッドライト
・小説
<感想>
霧がすごくて、大山から猫ノ平に行くところで迷いました。
また、滝に行く途中ヒルに喰われてました。
<日光(霧降)における戊辰戦争>
戊辰戦争とは、徳川幕藩体制国家に代わる統一国家の在り方をめぐって異なる政治構想を持った政治勢力が激突した戦争である。
慶応4年(1868年)旧幕府軍 大鳥圭介は、有志二千余名を率いて4月25日、江戸幕府の聖地日光にたどり着き、新政府軍が来たならば、仮橋(日光橋)を焼いて決戦する戦備を整え、戦火はいよいよ日光にも迫ってきた。
一方、新政府軍は土佐藩士 板垣退助を主将とし29日今市まで進軍正午過ぎには今市境の野口十文字で戦闘が始まった。
しかし、日光における直接の衝突はここまでで町中までは及ばず夕刻には大鳥軍も日光を脱出し、この地霧降を通り六方沢の谷底に仮泊、翌閏4月1日に栗山から海津へと向かった。
このように日光が危うくして戦火を免れた背景には。多くの先人達の決死の努力があり、現在の世界遺産の地「日光」の繁栄があることを私たちは忘れてはならない。