2019年5月に栃木県日光市にある関東百名山のひとつ鳴虫山に行ってきました。標高は1104mです。
<アクセス>
東武日光駅
<ルート>
東武日光駅 → 鳴虫山登山口 → 神ノ主山 → 鳴虫山 → 合方 → 憾満ヶ淵 → 東武日光駅
<感想>
開けて景観を楽しむところはありませんでしたが、花が有名らしくそれを目的に登っている人もいました。
私は憾満ヶ淵に降りて行ったのですが、結構急な坂でした。
<コラム>
・並び地蔵(化け地蔵)
慈眼大師天海の弟子約100名が「過古万霊、自己菩提」のために寄進したもので、列座の奥には親地蔵が置かれていました。霊庇閣に一番近い、やや大きめの石地蔵は「カンマン」の梵字を書いた山順僧正が奉納したものです。
明治35年9月の大洪水で、親地蔵と他の地蔵のいくつかのが流されてしまいました。参詣者がこの地蔵の数を数えてみると、その都度数が違うというところから、いつしか「化け地蔵」とも呼ばれるようになりました。
道の看板参照
・憾満ヶ淵(かんまんがふち)
男体山から吹き出した溶岩によってできた奇勝で、古くから不動明王が現れる霊地といわれます。川の流れが不動明王の真言を唱えるように響くので、晃海大僧正が真言の最後の句の「カンマン」を取り憾満ヶ淵と名付けたと言います。
晃海大僧正は、この地に慈雲寺や霊庇閣、不動明王の大石像などを建立し、往時は参詣や行楽の人々で賑わいました。元禄2年(1689年)、俳聖「松尾芭蕉」も、奥の細道行脚の途中に立ち寄っています。
大谷川の対岸にある巨石の上には、かつて高さ2mの不動明王の石像が置かれていましたが、明治35年(1902年)9月の洪水で流失してしまいました。その台座ともなっていた巨石には「カンマン」の梵字が彫られていることが今も見ることができます。この文字は日光山修学院学頭で養源院住職であった山順僧正が書いたものです。
「含満」とも書くので「がんまん」と澄んで読むほうが正しいのです。
道の看板参照
・霊庇閣(れいひかく)
承応3年(1654年)、慈雲寺創健の時、晃海大僧正が建立した四阿造りの護摩壇で、対岸の不動明王の石像に向かって天下泰平を祈る護摩共養するを行った場所です。この高さ2m余りの不動明王像は、周辺の地の石像や建物などとともに明治35年(1902年)9月の大洪水によって流失してしまいましたが、その台座となっていた対岸の巨石には「カンマン」の梵字が彫られていることが今も見ることが出来ます。現在の「霊庇閣」は昭和46年(1971年)に輪王寺によって復元されました。
道の看板参照