日本寺。

  • 2020年1月3日
  • 2020年5月6日
  • 日本
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2019年12月に千葉県にある日本寺行ってきました。

パンプレットの解説の言葉が漢字が難しすぎて、伝える気あるのかな。

アクセス

電車 JR内房線 浜金谷駅か保田駅

入場料 600円です。

パンフレットより

<鋸山 日本寺の由来>

日本寺は今から約1300年前、聖武天皇の勅詔と、光明皇后のおことばをうけて、神亀2年6月8日(西暦725年)高僧行基菩薩によって開かれた関東最古の勅願所です。正しくは乾坤山日本寺(けんこんざんにほんじ)と称し、時に帝よりはわが国の国号を冠する「日本寺」の勅額、宸翰(しんかん)ならびに黄金五千貫を、皇后よりは御手づからの刺繡になる三十三観音の軸物および御戸帳料綾錦十匹を賜りました。

 

初めは法相宗に属し、次いで天台、真言宗を経て徳川三代将軍家光公治世の時、曹洞禅宗となって今日に及んでいます。現存の古碑銘にあるように、かつては七堂、十二院、百坊を完備して、良弁僧正、慈覚大師、弘法大師などの名僧が訪れ修行した我が国でもまれにみる古道場です。本尊の薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は日本三薬師の随一として尊敬を集め、江戸時代の最盛期には実に三百万人講の名をもって東海千五百羅漢彫刻を大工事が行われました。

 

<日本一の大仏さま>

昭和四十四年六月、四ヶ月にわたる復元工事によって再現した名実ともに日本最大の大仏さまです。

原型は天明三年に、大野甚五郎英令が門弟二十七名とともに三ヶ年を費して現在の地に彫刻完成したものです。当時は御丈八丈、台座とも九丈二尺あり、天下にその偉観を知られていましたが、江戸時代末期になって、自然の風触による著しい崩壊があり、昭和四十一年至るまで荒廃にまかされておりました。

この大仏さまは、正しくは(薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい))と称し、宇宙全体が蓮華蔵世界たる浄土であることを現したもので、世界平和、万世太平の大象徴として復元建立されたものです。

 

<東海千五百羅漢>

当山曹洞第九世、高雅愚伝禅師の発願により、上総桜井(現木更津市)の名工、大野甚五郎英令が安永八年から寛政十年に至る前後二十一年間、門弟二十七名とともに生涯をかけて千五百五十三体の石仏を刻み、太古よりの風蝕によってできた奇岩霊洞の間に安置し奉ったものです。これは実に、比べるものがないと言われた中華民国懐安大中寺の八百羅漢をしのぐもので、鋸山は世界第一の羅漢霊場として遠く海外にも知られています。海を経て伊豆から運ばれた石材に、真心をこめて彫刻された千態万状の尊像は、すべて久遠の慈容を湛える驚くべき名作です。当山の貴重な寺宝であることはもちろん、わが国の文化財としてもかけがいのないものですが、惜しくも明治維新の排仏毀釈以来、荒廃したままで現在に至り、目下「羅漢様お首つなぎ」を初め、全山の復興に努力しております。

 

<百尺観音>

昭和四十一年五月、六ヶ年の歳月を費して完成した大観音石像です。発願の趣旨は、一つには世界戦争戦士病没殉難者供養のため、また一つには、近年激増する東京湾周辺の航海、航空、陸上交通犠牲者供養のためです。

当山山頂に切り立つ、険しい崖に囲まれた雄大な勝地に安置される第観音像は、交通安全の守り本尊として、多くの人々の尊崇を集めています。

 

<お願い地蔵尊>

大仏広場に安置されているお願い地蔵尊は、様々な願いが叶えられると尊崇を集め、お願いする人の氏名を書いた小さなお地蔵さまが、無数に奉納されています。

 

<聖菩提樹>

平成元年五月、インド国政府より、日印親善と世界平和を祈念して、釈尊成道の聖地、ブッダガヤの聖菩提樹の分木が日本寺へ贈られ、大仏広場に植えられております。

 

<名勝鋸山>

当山十万余坪(33万m2)の境内地は千葉指定の名勝で、十八勝、三十六景など数多くの秘境に富み、三尊御来迎の姿と言われる瑠璃、日輪、月輪三峰の大偉観、富士を眼下に東京湾を始め、全関東を一望にする頂上の大景観とともにその美しさは言葉では言いつくせません。総てを鑑賞するには二日を要すると言われるほどです。また、優れた景観だけでなく、学術的にも貴重な存在で、山中の地質、動植物を調査研究するものには「天然の大博物館」として注目されています。

 

<ギャラリー>

    

 

 

 

 

 

<info>

日本寺管理所

0470 55 1103

千葉県安房群鋸南町鋸山

 

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