戊辰戦争とは、徳川幕藩体制国家に代わる統一国家の在り方をめぐって異なる政治抗争を持った政治勢力が激突した戦争である。
慶応4年(1868年)旧幕府軍 大鳥圭介は、有志二千余名を率いて4月25日、江戸幕府の聖地日光にたどり着き、新政府軍が来たならば、仮橋(日光橋)を焼いて決戦する戦備を整え、戦火はいよいよ日光にも迫ってきた。
一方、新政府軍は土佐藩士 板垣退助を主将とし29日今市まで進軍正午過ぎには今市境の野口十文字で戦闘が始まった。
しかし、日光における直接の衝突はここまでで町中までは及ばず夕刻には大鳥軍も日光を脱出し、この地霧降を通り六方沢の谷底に仮泊、翌閏4月1日に栗山から海津へと向かった。
このように日光が危うくして戦火を免れた背景には。多くの先人達の決死の努力があり、現在の世界遺産の地「日光」の繁栄があることを私たちは忘れてはならない。