【倉沢廃村】奥多摩の山中に眠る、時が止まった集落「倉沢廃村」を訪ねて

目次

プロフィール

東京の奥座敷、奥多摩町。その日原(にっぱら)地区の手前に、かつて多くの人々が暮らした集落が静かに眠っていることをご存知でしょうか。その名は「倉沢集落」。現在は廃村となり、訪れる人もまばらなこの地を歩いてきました。

廃村とは何か?

そもそも「廃村」とは、そこに住んでいた人々が様々な理由で村を離れ、誰もいなくなってしまった集落のことです。一般的に、交通の便が悪かったり、生活に必要な水や食料の確保が難しくなったりと、時代の変化とともに暮らしが立ち行かなくなることが主な原因として挙げられます。ここ倉沢集落も、そうした歴史の流れの中で姿を消していった村の一つです。

巨大なヒノキに見守られた集落跡

奥多摩駅からバスに揺られ、「倉沢」バス停で下車。そこから登山道を少し登ると、まず目に飛び込んでくるのが圧倒的な存在感を放つ「倉沢のヒノキ」です。

このヒノキは樹齢800年近く、高さ33m、幹の周りは6.3mにも及ぶ巨木で、東京都の天然記念物にも指定されています。

この巨木からさらに数分歩くと、目的地の倉沢集落跡に到着します。

山中に存在した200人の町

倉沢は、もともとわずか4軒ほどの小さな集落でした。しかし、昭和10年代に転機が訪れます。石灰石を採掘する奥多摩工業(当時)が、この地に社宅を建設したのです。

山の斜面を利用して十数棟もの社宅が建てられ、共同浴場や食堂、さらには診療所や理髪店まで備わっていました。最盛期には約200人もの人々がここで暮らし、山深いこの場所に、さながら一つの小さな町が形成されていたといいます。

しかし、その賑わいも長くは続きませんでした。昭和30年代後半に日原地区に新しい社宅が建設されたことをきっかけに、人々は倉沢を離れ始めます。そして昭和40年ごろ、ついに無人の地となりました。

私が訪れた時、そこには静寂だけがありました。建物の多くは自然に還りつつありましたが、わずかに残る生活の痕跡から、かつてここで繰り広げられたであろう人々の営みに思いを馳せることができました。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

趣味で登山を楽しんでいます。特に関東近辺の山に登っています。
登った山の情報や旅行で行った場所の情報などを発信しています。

目次